あのころ

〜親愛なる友へ捧ぐ〜


「あのころは、よかったよね」

傍らで座っていた彼が呟いた。たぶん知り合ってそんなに時が経たない頃のことだろうか。

決して恋人同士だったわけではない。お互いがお互いの遊び友達のひとりに過ぎなかった。初めて逢って半月もしないうち、彼に誘われ泳ぐには季節外れの海に来たことがある。デートと言うわけでもなく、一緒に同じ場所にいて、さり気ない会話をしているだけで充分に楽しかった。それにまだどちらも心の幼すぎる「大学生のガキ」だった。将来のことをただ漠然と考え、実際にはひたすら遊んでばかりいたあの日々。だけど何かが充実していた。楽しかった。でも二度と帰らないあの頃。お互いの意識は時間軸を無視してその時代に戻っていた。思い出を共有している今になって、彼の一言が彼の思惑を通り過ぎて私に突き刺さる。

わからなかったことが、今になってからわかっていく。初めて共有したその時間からずいぶん経って、それが現在の自分にどんな影響をもたらしたか。果たして彼にとって私は「いい奴」だったのか。半分以上私自身の妄想が入ってはいるものの、美しい思い出の中の美しい彼が、美しく「あのころ」を語る。思い出とは、あまりに切ないもの。しかしながら、あまりに愛おしいもの。そして、私の心の奥底で秘めていた何かとは。あのころは自分のそんな思いがわからなかった。

バブル、新人類、売り手市場。典型的なその頃の失敗例。今では社会から一歩引いた位置に居る私。一方の彼は何かある度にステップアップして今やとても忙しい身だ。お互い、見た目はずいぶん変わった。でも彼の少年のような目もとだけは変わっていない。果たして今の私はどのように彼の目に写っているのだろうか。

もし恋人であることがあったなら、こんなふうに彼に会うこともなく、もし偶然にどこかで出会っても言葉を一言も交わすことができなかっただろう。十数年越しの友情は、再会とともに思い出をもたらす。お互いの居場所を知っていても決してしつこく追い掛けるでなく、わずかでも会えるチャンスができたなら、そのときだけ会えばいい。そんな関係だからこそ、またきっと彼に会いたくなるのだろう。

だから「おやすみ」とか「またね」なんて言えても「さよなら」だけは言えない。この日もまた、それを確信した。

(執筆時期不明:加筆修正06/08/2002)


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